民間人の調査活動:東京・渋谷区立中で「窃盗事件」に 元検察官で弁護士の落合氏の話

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111001ddm012040004000c.html

◇一定の免責が必要−−元検察官で弁護士の落合洋司氏の話
窃盗罪が成立するには「不法領得」(自分のものにすること)の意思が必要とされている。今回のケースでは、短時間とはいえ女性は文書を占有しており、実務的には不法領得と見なされる可能性がある。公益目的の「正当行為」として違法性が阻却される(退けられる)かどうかも微妙だ。日本の判例は正当行為を非常に狭くとらえており、よほど切迫した状況でなければ認められない。
しかし、それでいいのかを考えるべきだろう。より大きな目的のために、やむを得ず軽微な違法行為をした場合は、一定の免責をするという考え方がないと、社会は良くならない。不正は見て見ぬふりをしたほうがいい、ということにもなりかねない。今回は文書が学校から警察署に移動しただけで、誰かが著しく迷惑したとは考えられない。
日本の文化では従来、権限のない一般市民が自ら調査活動をすることはあまりなかった。しかし、これからは踏み込んだ行動を取る人が増える可能性がある。どういう場合なら違法性が阻却されるべきなのか、活発な議論が必要だろう。

問題となった事件の経緯は、

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111001ddm012040002000c.html

といったもので、陸山会事件のような事件と比べると、スケールは小さいのですが、普遍性のある、なかなか難しい問題を含んでいいて、毎日新聞が私の見解を求めてきたため、問われるままに語ったのが上記のコメントでした。
これだけコメントが掲載されると、あまり付け加えることもないのですが、社会が複雑になればなるほど、公権力の行使をすぐには期待できない緊急状態の下、不正を正すなどの目的で、より大きな法益(法により守られるべき利益)を守るため、それよりも小さな、軽微な法益を侵害せざるを得ない場面が生じることは不可避であり、そういった場合に、事態を放置せよ、大きな法益が守られなくてもやむを得ない、余計なことをせず黙って引っ込んでいろ、とするのが、果たして健全な社会なのか、ということは、よくよく考えてみる必要があるでしょうね。
ただ、そういった議論とは別の話として、不正を正し守るべきものを守るためには、たとえ自分自身が責任を問われる恐れがあっても、身を捨てて志に殉じる覚悟、ということが、やはり必要ではないかと思います。人は一代、名は末代、悠久の大義に生きる、身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂吉田松陰)という気概は、善をなそうとする者には必要不可欠でしょう。