岩手の蘇民祭:「全裸は公然わいせつ」今度は県警が警告

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080209k0000m040141000c.html

1月、水沢署から全裸への事前警告が口頭で数回初めてあった。荒川文則副署長は「『神事だから黙認』と思われていたかもしれないが、法律に抵触する行為があればしかるべく措置するスタンスは不変。昨年までも現場で警告制止してきた」と話す。境内での宗教行為だから罪にならないとの声もあるが、荒川副署長は「観光客がおり、公然性がある」と言う。

公然わいせつ罪の構成要件中、上記のような行為が「わいせつな行為」にそもそも該当しない、という考え方もあり得、また、構成要件には該当するとしても、正当業務行為として違法性が阻却されるのではないか、という考え方も十分成り立ち得ると思います。
有名な憲法判例で、警察が行方を追っている被疑者を、教会の牧師が事情を知りつつ教会内に宿泊させ、説得を重ねた上で警察に出頭させた行為につき、犯人蔵匿罪で起訴されたのに対し、裁判所が、正当な牧会活動であり正当業務行為であるとして無罪とした事件があります。
それと同様の問題が、もし、この件が起訴されれば発生する可能性が高く、2月13日から14日にかけて行われるこの祭りや、警察の対応、さらに、盛岡地方検察庁の対応が注目されると思います。
この祭りの見物客は、日本の憲法訴訟史上に残る歴史的な事件の現場に立ち会うという、稀有の経験ができることになるかもしれません。

追記:

「わいせつ」とは、判例によれば、いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう、とされています。上記のような祭りにおいて、伝統や神事に則り全裸になる行為が、そのような「わいせつ」なものなのか、という、素朴かつ常識的な疑問が、まず生じてきます。
わいせつ性の判断にあたり、過去の判例は、個々の部分の判断は全体との関連において判断される必要があり、芸術性、思想性が性的刺激を減少・緩和させて、刑法が処罰の対象とする程度以下にわいせつ性を解消させる場合がある、としたり、主として見るものの好色的興味に訴えるものと認められるかなどの点を検討することが必要である、としています(山口厚・刑法各論補訂版498ページ)。
このような意味で、上記のような祭りにおける行為が「わいせつ」行為に該当するか、ということになると、かなりの疑問がある、と言えそうであり、憲法上保障された信教の自由、表現の自由等の一環としての正当業務行為として違法性が阻却されるのではないか、という点でも、肯定される可能性はかなり高そうです。