4人の死刑を執行と法務省が発表 05年9月以来の執行

http://www.asahi.com/national/update/1225/TKY200612250144.html

裁判所が死刑判決を「量産」し、死刑確定者は06年は20人を超えた。一方、実際に死刑囚の命を奪うことになる命令書の署名には消極的な法相も多く、その結果、03年までは50人台で推移してきた未執行者は25日現在で98人に。法務省幹部は「100人を超えれば死刑制度の根幹が疑われることになる」と危機感を持っていた。

昨日は、死刑という刑罰の峻厳さを、改めて強く感じた日でした。死刑を執行された人々は、確かに、重い犯罪を犯したが故に死刑に処せられたわけですが、自らの一命をもって罪を償ったもので、これ以上の償い方はないでしょう。
上記の記事のように、この問題を、「死刑判決を量産する裁判所」「死刑制度存置をもくろむ法務官僚」対「死刑廃止論者」の争い、といった捉え方をすることには、賛成できません。裁判所も、法務省検察庁も、死刑に関する国民の意思、支持等がどこにあるかを、常に注視しつつ臨んでいるはずです。この問題に対する国民の意思はどこにあるか、ということを常に追い求めつつ、世界の動き、流れも見据えて、死刑の存廃、存置の場合は適用基準、廃止の場合は代替手段、といったことを真剣に検討する必要があります。
ただ、死刑制度が存置されている限り、個々の法務大臣の独自の考え方、判断により執行しない、ということは、法治国家としては許されないことだと思います。そこは、区別して考えられるべきでしょう。