サリン工場に遺体処理場…地下鉄サリン事件から30年が経過 オウム真理教「かつての拠点」跡地の現在

サリン工場に遺体処理場…地下鉄サリン事件から30年が経過 オウム真理教「かつての拠点」跡地の現在(FRIDAY) - Yahoo!ニュース

早朝には“オウム食”と呼ばれた信者向けの朝食らしき箱が大量に運ばれて来て、熟れたバナナの匂いが一帯に広がっていました。麻原の家族だけ高級メロンを食べていたと報じられていましたが、信者らは質素な食生活だったようですね」

私は、当時、東京地検公安部所属でオウム真理教の信者をかなり取調べていて、取調べ官は現地を見ていたほうが良いだろうという判断があったのか、他の検事らと一緒にマイクロバスに乗って、上九一色村などの教団施設を見に行ったことがありました。1995年6月頃だったと思います。サティアンの建物の中は荒れ果てた感じで、床に水が溜まっていたことが思い出されます。

上九一色村で生活していた出家信者も取調べましたが、冬は零下10度近くまで気温が下がり、薄着で暮らしているのでものすごく寒かったと語っていたことが思い出されます。留置場が快適だと喜んでいて、私も多数の被疑者を取調べてきましたが、留置場が快適だと喜んでいたのはオウム真理教の信者くらいでした。

30年経ちましたが、今でも印象に残っていることはいろいろあります。