G7サミットで「お好み焼き」外交はなぜ?…岸田首相の忘れられない味

G7サミットで「お好み焼き」外交はなぜ?…岸田首相の忘れられない味(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

1945年8月に原爆が投下され、広島は一瞬にして焼け野原となった。鉄板の上で簡単に作れるお好み焼きは食糧難に苦しむ人々の空腹を満たし、復興を象徴する食べ物になったとされる。

私は広島で生まれ育ち高校生の時まで暮らしましたが、家の近所にはお好み焼き屋があって、近所の人が日常的にそこで食べていましたし、学校の帰りに学校近くのお好み焼き屋に立ち寄ったり、至って日常的に食べていたことが思い出されます。昭和50年代頃は、300円余りとか400円前後くらいで食べられた記憶ですが、それに比べると、今は値段も上がったなという印象が強いですね。

とは言え、比較的安価に、手軽に食べられるので、私も、たまに広島に帰省すると好んで食べています。最近は東京都内でも食べられる店が増えているのは嬉しいです。