捨てられない「ひとつ前」の搭乗券 あの日123便に乗らなかった私

捨てられない「ひとつ前」の搭乗券 あの日123便に乗らなかった私:朝日新聞デジタル

1985年8月12日。書道家の村尾清一さんは東京都内であった書道展の表彰式を終え、羽田空港にいた。思ったより早く着いたな。キャンセルが出たひとつ前の便に変えて、手荷物検査の列に並んだ。

列の前には若い夫婦と小学生ぐらいの子どもが2人。子どもは水槽を抱えていた。夏休みに捕まえた魚でも入っているのかもしれない。「次の便にしたらどうですか」という係員の声が聞こえる。機内に持ち込めるかどうか、調べるのに時間がかかるのだという。その家族を追い越し、ゲートをくぐった。

何気ない夏の風景ですが、その後に起きたことを考えると、運命の分かれる瞬間であったことをしみじみと感じます。

私も、60歳がもうすぐという域に達してきて、知人が突然に亡くなったりすることが増えてきました。人間、元気なようでも、突然、簡単に死んでしまうのだなと感じることが多くなりました。

生きるというより、生かされているのだ、ということも感じます。生きることと死ぬことの、その間にはほんの僅かな差しかない。人生、薄氷の上を歩いているようなものでしょう。

そんなことを、記事を読みつつ、つらつらと考えていました。