あの日の取材、刻まれた思い 雲仙・普賢岳火砕流30年 本紙元記者が振り返る

 

あの日の取材、刻まれた思い 雲仙・普賢岳火砕流30年 本紙元記者が振り返る(産経新聞) - Yahoo!ニュース

幼い長女や次女から「お父さんは?」と聞かれることが一番つらかったといい、「お空の上にいるから一緒に住めないのよ」と話してきた。 話を聞かせてもらった前月、ボランティアから東京ディズニーランド(千葉県浦安市)に招待されたとき、乗っていた飛行機が雲の上に出た。窓の外を見ていた長女から「お父さん、お空の上にいるんでしょ?」と聞かれた。女性は「もっと高いところにいるのよ、とこたえるのが精いっぱいでした」と振り返り、こう話した。「主人が好きだったこの町を私も一生、愛し続けます」

今であればドローンを活用した取材なども可能だと思いますが、当時は、取材をしようと思えば、危険な場所へ肉薄して近寄りがちで、そういった災害取材の在り方についても、大きな教訓となる事故だったと思います。

事件、事故としては、統計的な数字としての死亡者で、時の経過とともに忘れられていっても、家族、知人らにとってはかけがえのない存在として、長く哀悼の対象になるものです。悲しみも長く残ります。犠牲者も、その関係者で悲しむ人々も出さない、慎重な災害取材を、今後とも望みたいと思います。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。