「贈収賄に問われる可能性もある。簡単に片付けられる問題ではない」NTTと歴代総務相との“お食事“に元検事の落合弁護士

「贈収賄に問われる可能性もある。簡単に片付けられる問題ではない」NTTと歴代総務相との“お食事“に元検事の落合弁護士(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース

そして職務権限がある人に対して飲食の提供が行われたということであれば、実態に即して贈収賄の可能性も検討されなければならないし、簡単に片付けられる問題ではない。ただ、本当に贈収賄に当たるかどうかは、一定の“便宜供与”、つまり“これだけやってもらうんだから、これをやってあげましょう”という“対価性”のある行為があったかどうか。日本の習慣として、潤滑油みたいな感じでご飯を一緒に食べながら仕事の話をするのはよくあること。その結果として対価を与えるということまでは、普通はいかない。この、社会的儀礼の範囲内かどうかで争われることが多いが、頻度が高かったり、回数が重なっていたり、一回あたりの金額が多くなってきたりということになると、これは範囲内ではないだろうということになり、事件に発展する場合がある」。

 この問題について、贈収賄罪の成否ということを、各方面から繰り返し聞かれるのですが、ポイントは上記のようなところにあると思います。

1990年代後半に、大蔵接待汚職事件があって、その際も、局長など高位の人々が繰り返し、高額な接待を受けていて大問題になりましたが、刑事事件として立件、有罪になったのは末端の課長補佐だけでした。上記のような「対価性」など様々な観点で検討された結果のことで、飲食の接待のみで贈収賄罪罪を刑事事件化する難しさは、この種の問題の際には常につきまといます。

しかし、贈収賄にならなくても、国家公務員倫理規程、国務大臣等規範、接待する側のコンプライアンスに関する様々な縛りによって、やってよい事の限界は画されているのであり、そういった縛りも含めて、関係者は厳正に身を処していかなければならないでしょう。そして、ルールに反した場合には、贈収賄罪で刑事責任を追及される以外にも、様々な責任が問われ、また、責任を取るべき立場に置かれるはずです。

日本の政治の世界では、どこかの総理大臣のせいか、無責任で知らんぷり、がデフォルトになっていますが、それではいけない、という国民の強烈な一撃(端的に言って、選挙)がない限り、今後もこういう醜態は繰り返されるでしょう。