なぜ米軍車両に火を…「戦後最大の民衆蜂起」深層を探る【#コザ騒動50年】(琉球新報) - Yahoo!ニュース
このようなタイミングで立て続けに起きた米軍関係車両の交通事故。「この前の糸満の事件と同じように無罪判決になるのでは」ー。そこに居合わせた人の間で不満が爆発し、反射的な直接行動が一気に広がった。それは群衆心理による盛り上がりもあったかもしれないが、騒動には不思議な秩序があった。略奪は起きず、死者も出なかった。暴力が人に向かわず外国人車両や建物だけを標的としていた。通り沿いの建物に延焼しないように、火を着ける外国人車両は車道中央に集められた。松村さんは「興奮の中に冷静さがあった」と振り返る。
「コザ騒動」は蓄積していた沖縄の怒りが爆発を表す事件として語られてきた。しかし、松村さんが感じたのは怒りだけではない複合的な感情だった。「それは沖縄戦から続く哀しみ、苦しみ、痛み、悔しさが入り交じったようなものだったのではないでしょうか」
沖縄の施政権を米国に委ねたことが、沖縄県民を、日本国民でありながら日本国憲法が要請するレベルを大きく下回る人権状況に置いてしまった、その歪み、歪みに対する怒りが一気に爆発したのがコザ暴動であったと言えるでしょう。
かつては日本でも活発であった街頭での群衆による実力行使が、近時、見られなくなっています。しかし、社会の歪みが広がり、顕在化するようになれば、再び街頭での群衆行動が活発化することは十分にあり得るでしょう。歪みがない、公平でバランスの取れた、弱者にも手を差し伸べる社会を構築、維持することが、良好な治安を維持するための不可欠の前提条件であることを強く感じます。