目からウロコの東京谷案内 /5 土取場の痕跡残る 高輪 「黒船」恐れが生んだ谷間

目からウロコの東京谷案内:/5 土取場の痕跡残る 高輪 「黒船」恐れが生んだ谷間 /東京 - 毎日新聞

高輪台地には人工的な谷間がつくられる以前から、湧水(ゆうすい)がつくった自然の谷間が複数存在していた。谷地の湧水を生かし、江戸時代には薩摩藩島津家や、熊本藩細川家の大名屋敷が築かれた。

海を望む高輪台地は羨望(せんぼう)の地。東向きの斜面には、明治になってから華頂宮邸や朝香宮邸、竹田宮邸、北白川宮邸など、皇族や宮家の邸宅が建ち並んだ。

 私の事務所は高輪2丁目、泉岳寺のすぐそばにありますが、泉岳寺とは反対側にある第一京浜が、記事にもあるように、江戸時代の街道で、泉岳寺から西へずっと登って行くと二本榎通りに至り、そこが台地の尾根になります。二本榎通りのすぐ西側に明治学院大学があります。

スマホのアプリで、現在の地図と江戸時代の地図(切絵図)を重ねて見られるものがあり、時々、事務所周辺の今と江戸時代を見比べることがありますが、今ある道路が江戸時代にも原型になるものがあったり、地形に今も名残があったりと、おもしろいものがあります。

今や高輪ゲートウェイ駅もでき、時代の先端を行く高輪ですが、今に至るまでの長い歴史があり、そこに想いを馳せるのも楽しいものです。