「麒麟がくる」門脇麦“タイトル回収”大役「なかなかない」視聴者目線・駒役に気概「物語のもう1本の柱」

「麒麟がくる」門脇麦“タイトル回収”大役「なかなかない」視聴者目線・駒役に気概「物語のもう1本の柱」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

第1話の終盤、駒は光秀に身の上を打ち明けた。「私、親が戦の巻きぞいで死んでしまって、火事で。私も火事の中で親と死ぬところを助けられたんです。3つの時です。まだ何も分からなくて」と切り出した。
「でも、助け出してくれた人の大きな手だけは覚えているんです。熱くて、もう駄目だと思っていたのに、その大きな手が私を抱き上げてくれて、火の外へ連れて行って『もう大丈夫だ』って。私、ずっと泣いていたんです。戦が怖い、戦が怖いって。そうしたら、その大きな手の人がこう言って慰めてくれたんです。『いつか戦は終わる。戦のない世の中になる。そういう世を作れる人がきっと出てくる。その人は麒麟を連れてくるんだ。麒麟というのは、穏やかな国にやってくる不思議な生き物だよ』って。『それを呼べる人が必ず現れる。麒麟がくる世の中を。だから、もう少しの辛抱だ』」

 このシーンはとても良かったですね。

中世、戦国というのは、庶民にとって苦難の時代であり、戦乱の中、家や田畑を焼かれ、逃げまどい、時には奴隷として売られ家族も四散するということが、日常的に起きていました。その時代を描く大河ドラマでは、英雄的な武将の視点で描かれがちでしたが、こういった「庶民」視点も交えて複眼的に描くことで、作品の深みが増すのではないかと思います。

戦乱の中、天下泰平を願っていた無名の膨大な庶民。その思い、願いは、今の世にも通じるものがあるでしょう。今の日本で麒麟を連れてくるのは誰なのでしょうか。