母に寄り添い、震災の語り部に 息子の「宝物」のワープロが紡いだ25年

母に寄り添い、震災の語り部に 息子の「宝物」のワープロが紡いだ25年(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

純さんは当時、神戸大大学院法学研究科1年で、親元を離れ、神戸市東灘区のアパートで暮らしていた。地震でアパートは全壊し、帰らぬ人に。現場から一緒に見つかったのが、純さんが生前「今の一番の宝物」と自慢していたワープロ。修理に出すと動き出した。

「自分が持っていても仕方ない」と震災を伝える資料にしてもらうことを決めた。ただ、もう触れられないと思うと急に惜しくなり、手放すまでの3日間は抱いて眠った。

 私も、こういう日本語ワープロをかなり使っていた時期があり、この記事を読んでいつ頃まで使っていたかと振り返っていたのですが、阪神・淡路大震災があった平成7年にはまだまだバリバリと使っていて、平成10年頃に、使わなくなったので人に譲った記憶があります。本来であれば、ワープロからパソコン、今やスマートフォンタブレットもと、活用しつつ活躍できていたはずのところを、お気の毒なことだと思います。

大震災から25年、時の流れの早さと、亡くなった方々への想いを胸に抱きつつ生きる人々の想いを、しみじみと感じます。