日本の「人質司法」をどうするか――長期勾留や自白偏重に国際社会の批判

日本の「人質司法」をどうするか――長期勾留や自白偏重に国際社会の批判 - Yahoo!ニュース

カルロス・ゴーン氏の長期勾留は、長く指摘され続けてきたこの問題を改めて浮上させた。ゴーン氏の処遇に対し、海外からは「人権問題だ」との批判も出ているが、主要メディアの報道によると、捜査を指揮する東京地検の久木元伸・次席検事は昨年11月の定例会見で、「それぞれの国の歴史と文化があって制度がある。他国の制度が違うからといってすぐに批判するのはいかがなものか」と述べている。

 日本の刑事司法においては、特に重大、複雑な事件で、捜査段階における身柄拘束下での取調べ、供述調書作成が重視され、起訴後においては、罪証隠滅を理由とする身柄拘束継続の傾向が強いのが実情です。

その背景には、「精密司法」と言われるような、事実認定をきめ細かく行おうとし、そのために、詳細な供述調書を活用する傾向が厳然として存在することも指摘できるでしょう。

こういう、全体としての一つのシステムは、部分部分だけを見て批判しても、なかなか変わるものではなく、システム自体を変革していくという発想がないと、なかなか変わらないと思います。

例えば、ですが、起訴までの身柄拘束は従来通りとしつつも、保釈制度を整備し、GPS機能付きの端末を身体に装着する仕組みを導入するなど、科学技術を大幅に導入して保釈しやすい環境を作りつつ、起訴後は原則として保釈を認める方向に(例外はごく一部しか認めない)大きく舵を切るのも一計でしょう。捜査機関としては起訴までに一定の身柄拘束ができ証拠を収集して起訴ができている以上、起訴後は身柄にこだわり固執できないのはやむを得ないと、そこは諦めてもらうのも合理的なやり方ではないかと思います。

取調べ時の弁護人立会についても、将来的には取調べの全過程への立会を目指しつつも、当面は、個別の論点の中で、ここについては弁護人立会での取調べを望むと被疑者が希望した場合にはそのように取り扱うとか、折衷的な方法も取り入れつつ、実質的な弁護権保障を目指すべきではないかという気がします(ここはいろいろな方法が考えられるところです)。

従来の制度を墨守する、ただ批判するという、それだけで終わらせるのではなく、現実的な改善を徐々に図ってあるべき制度へと変革する、その努力と実行が今こそ求められているということを感じます。