六本木のダンスパーティでバブルを懐かしむアラフィフ女性の告白

https://www.news-postseven.com/archives/20180717_719578.html

美奈さんが女子大生だったころ、日本は空前のバブル景気に沸いていた。就職活動では、特に苦労せず数社から内定をもらい、各社の採用担当者から連日の接待を受け、タクシー代と称し、会うたびに数万円を受け取っていた。プライベートでは「アッシー君」「メッシー君」と自家用車で送迎をしてくれるだけの男性、食事をおごってくれるだけの男性、という役割に特化された、交際していると言えなくもない相手もいた。もちろん「本命」の彼氏もいて、当時就職先としてはナンバーワンの人気を誇った保険会社に勤める五歳年上の男性と“なんとなく”結婚を意識もしていた。しかし……。

多分、この人と私は同世代だと思いますが、私自身は、昭和58年に大学に入り、昭和61年秋に司法試験に合格するまで、懲役で服役している修行僧のような生活をしており、遠くのほうで楽しそうにしている人がいるな、という感覚の中で生活していたことが思い出されます。大学時代は、東京の地理が全く理解できておらず、住んでいた新宿区大久保、大学がある西早稲田、通っている司法試験予備校の最寄り駅の水道橋の3点を、三角形状態でめぐる生活で(そうなったのは大学3年からで、それまでは予備校に行っていなかったので基本的に下宿先と大学の往復)、大都会東京の中で、ひたすら本を読み物事を覚えるという、その繰り返しでした。その後も、当時は人気がなかった検事任官という進路で、沸き立つバブル景気とは無縁で、バブル崩壊後はその後始末的な事件処理に追われて、結局、何ら良い思いはできず、その検事も辞めて、苦労しただけで何ら報われもせずに、今ではしがない弁護士として細々と生きています。そういう私には、バブルへの「懐かしさ」というものは感じられず、上記の記事のような、懐かしさを感じられるような生活を経験してみたかったなー、と改めてしみじみ思いました。