学童疎開船「対馬丸」写真展 7日から茨城・龍ケ崎市で

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対馬丸は昭和19年8月22日夜、沖縄県から長崎県へ向かう途中、鹿児島県・トカラ列島の悪石島(あくせきじま)沖で、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈没した。
対馬丸記念館那覇市)によると、国民学校の学童や教員ら約1800人が疎開などのために乗船しており、名前が確認されている犠牲者数は約1500人に上るという。対馬丸の船体は平成9年12月、沈没から53年ぶりに水深約870メートルの海底で発見された。

私は対馬丸記念館を2回訪れたことがあります。2回目の訪問直前には、ハワイ・オアフ島パールハーバーに係留されている、対馬丸を撃沈した潜水艦ボーフィンを訪れ、対馬丸を撃沈した魚雷を発射した発射管もまじまじと見て合掌しました。パールハーバーを訪れる機会を持った方々は、是非、ボーフィンも訪れてみていただきたいと思います。
戦争が起きれば、多くの非戦闘員が犠牲になります。戦争を抽象的に捉えるのではなく、そこでは無辜の人々が死んでいく、そういう具体的なイメージを的確に持つ必要があると思います。そういった戦争を起こさない、戦争をしないという日本国憲法の精神は、日本がいかなる状況におかれても、徹底して維持されなければならないでしょう。深い海の底に沈んだ対馬丸や犠牲になった幾多の魂は、それを望んでいることと思います。