<受刑者逮捕>尾道水道「泳げる」「干潮時に州」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180430-00000053-mai-soci

逃走経路は分かっていないが、向島と本州の間を流れる尾道水道は、最短部分は約200メートルしかない。島周辺の潮流に詳しい向島町漁業協同組合の田頭信親組合長(74)によると、尾道水道は満潮・干潮で潮の流れが変化し、その合間に潮の流れが日に4回、穏やかになるという。田頭組合長は「遠泳に自信があり、潮止まりを狙えば十分泳いで渡れる」と指摘する。尾道水道沿いの本州側で漁船関係の会社を営む宮本道子さん(73)も「今の60〜70代は誰もが水道を泳いでいた。干潮時には水道の東端に州が現れるので、干潮時にここを歩き、再び泳いで渡ったのではないか」と推測する。

この記事を読み、司馬遼太郎の「峠」で、長岡城を官軍に奪われた長岡藩が、長岡城に続く八丁潟を渡って奇襲をかけ奪還する際に、干潟状態の八丁潟をよく知る者の意見を聞いて、渡りきれると見通し奇襲を決断した場面を思い出しました。上記の逃走事件について、テレビのコメンテーターが泳いで渡るのは無理だろうなどとしたり顔で言っているのも見ましたが、現地のことをよく知っているのは地元に長く住んでいる人々です。上記の記事にあるような、泳いで渡れるという見解が、逃走者探索にどれだけ役立てられたのか、疑問、関心を感じるものがありました。
今後の逃走防止だけでなく逃走事件が起きた場合の探索、発見にも、今回の事件が教訓として役立てられることが望まれます。