関ヶ原合戦 家康の戦略と幕藩体制 (講談社学術文庫)

以前、

関ヶ原合戦と大坂の陣 (戦争の日本史 17)

関ヶ原合戦と大坂の陣 (戦争の日本史 17)

を読んだことはあったのですが、先行する笠谷氏の上記の著作は読んでいなかったので、kindleで読めることも手軽に感じて、落として読んでみました。
後から出た「関ヶ原合戦大坂の陣 (戦争の日本史 17)」を既に読んでいたので、特に目新しさは感じませんでしたが、中山道を進み上田城攻めなどで手間取って関ヶ原に間に合わなかった徳川秀忠軍が、陣容から見ても徳側軍の中核部隊で、徳川家康軍は旗本を中心として家康の警護を中心とする防御的な舞台であったことが具体的に説明されているなど、実証的な立論には改めて説得的なものを感じました。ドラマや小説では、徳川家康が豊臣権力を悪辣に簒奪していくものと描かれがちで、確かに結果としてはそうなのですが、関ヶ原の戦いで一挙に簒奪という単純な話ではなく、笠谷氏の言う「二重公儀体制」がしばらく続く中、じわじわと徳川家の覇権確立、豊臣家の排除へ動いていった、その流れを克明にたどろうとする著者の丹念な検討には強く興味を感じるものがありました。
徳川家康が律儀な人であったというだけでなく、豊臣恩顧の大名が多い中で、豊臣家を、天皇家のように祭り上げ奉り二重公儀体制の中で徳川家が実質的に覇権を握り政権の安定を図りたいという意図が、大坂の陣の少し前までの家康には、やはりあったのではないかという気が私にします。しかし、それが、豊臣秀頼の成長とともに、次第に、豊臣家が単に祭り上げられ奉られるだけの存在にはならなくなってきた、そこに破綻が来された結果が大坂の陣ではないかと、素人の私にも感じられるものがありました。
関ヶ原の後の大坂の陣への動きについて、「関ヶ原合戦大坂の陣 (戦争の日本史 17)」を再読してみたいと思いました。