グーグル検索で逮捕歴の削除認めず…高裁

http://www.yomiuri.co.jp/national/20160713-OYT1T50024.html

男性は2011年、児童買春・児童ポルノ禁止法違反で罰金50万円の略式命令を受けた。さいたま地裁は昨年6月、グーグルの検索結果に表示される49件の削除を命令。さらに同地裁は同年12月、グーグル側の異議申し立てに対し、「犯罪者といえども更生を妨げられないよう、過去の犯罪を社会から『忘れられる権利』がある」と判断して削除決定を維持した。
この日の決定は、削除の当否を判断するための考慮要素として、〈1〉対象の記述を公表した目的や社会的意義〈2〉削除請求した人の社会的地位や影響力〈3〉公表による損害の重大性――などを挙げた。その上で今回のケースについては「児童買春の防止は親にとって重大な関心事だ」と指摘。削除した場合は「看過できない多数の人の『知る権利』などを侵害する」と結論付けた。

「忘れられる権利」という言葉自体が一人歩きしている感がありますが、そもそも、既に定着しているプライバシー権自体が、日本の実定法上、明文で認められてきたものではなく、憲法が保障する「人格権」の一環として解釈で認められてきたもので、当面は、その枠組みの中で考えていくしかないだろうというのが私の見方です。もちろん、忘れられる権利的なものを人格権の一環として認める余地は十分にあると思いますが、プライバシー権との関係を明確にする必要があるでしょうし、そこが切り分けられるとしても、どのような要件の下でそのような権利を認めるのか、他の権利(上記の記事で紹介されている知る権利など)との関係、限界をどこで見出すかといった問題もあります。
上記の記事で紹介されている東京高裁の判断は、従来、プライバシー権について定着してきた考え方に沿っていて、事実関係がよくわかりませんからその結論の当否はなんとも言えませんが、その判断枠組みは、現状では止むを得ず、かつ妥当なものがあると思います。
海外での議論を、そのまま日本へ持ってきてあたかも普遍の真理であるような議論を、法律の世界でもしてしまう人が、法解釈や実務に疎い人に目立ちますが、上滑りな議論ではなく、日本の実定法、判例、従来の解釈にうまく組み込めるようなものでないと、ジャーナリズムの世界ではもてはやされても裁判所では受け入れられないということになってしまいます。