元学生ら、まるで詐欺劇団…事故起こして示談金詐取容疑

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160104-00000050-asahi-soci

歩行者役の男が「全員同罪だ。退学になるかも知れない」とあおり、弁護士の息子役の男は父親に電話したように装い「運転手は200万円、同乗者は130万円が示談の相場」と指摘。さらに、現場に駆けつけた「法律に詳しい友人役」の男(26)も「それくらいの相場」と畳みかけ、女子学生から示談金名目で現金130万円を詐取した疑いがある。

比較的若い仲間同士でグルになって詐欺を繰り返していたようですが、こういうことが平気で平然とできてしまう人が、今の日本では以前よりも(以前というのは昭和の終わりから平成の初めくらいをイメージしていますが)増えている印象があります。私の場合、平成元年(1989年)に検事になって、その後、弁護士と、事件を通じて世の中を見てきた面があるので、単なる印象というわけではないものもあるように思います。
その原因を考えてみると、家庭での教育機能がかなり低下しているということがあるように思います。私も、幼少期は親からしっかりとしつけられましたし、以前は、そういった教育機能が働いていたものが、現在に至るまでかなり低下して、必要な倫理観、道徳観、ルール意識が希薄になったり欠如して、という度合いが高まっているのではないでしょうか。海外では、そこを宗教、信仰というものがあることで歯止めになっているものが、日本で信仰心がある人(それなりに強くてここでいう「歯止め」になるような人)は、それほど多くないと思いますから、刹那的、享楽的な方向に走ってしまう、その歯止めがなかなか見出しにくくなりがちでしょう。
自民党的に言うと、それは憲法日教組が悪い、といったことになりそうですが、そうではなく、日本社会が戦前、戦中の国家主義的、家父長的な社会から戦後に新たな社会へと転換していった際に、次第に戦前、戦中の名残もなくなって、倫理、道徳を支えるものが失われていったということではないかと思います。それを今さら教育勅語のようなものに見出すことは無理ですから、それをどうするかは今後の大きな課題でしょう。
特定の考え方を誰かが提唱してそれを押しつけて行くような形ではなく、国民全体でそういった問題意識を持って、日本社会におけるあるべき倫理、道徳を、無理なく自然に意識して生活できるような、そういうソフトな動きが出てくるようにしたいものだという気がします。