http://mainichi.jp/select/news/20151023k0000e040208000c.html?fm=mnm
事件の最大の争点は火災の原因だった。確定判決で有罪の根拠とされた「車庫で約7リットルのガソリンをまき、ライターで放火した」とする朴元被告の捜査段階での自白の信用性の有無を中心に、検察側は放火、弁護側は自然発火を主張した。
決定で米山裁判長は、地裁の審理で火元の車庫を再現した小屋に種火状態の風呂釜を置き、7リットルのガソリンをまいた弁護側の再現燃焼実験と、即時抗告審で検察側が行った同様の燃焼実験を併せて検討。「ガソリンをまけば途中で引火して激しく燃え、ライターで点火する余地はない。やけどを負わないことがありえるのか、疑問が生じる」とし、「自白通りの放火は実現可能性が乏しい」と判断した。
さらに、弁護側が提出した、事件と同系列車の4台で給油口からガソリンが漏れた事例の調査や、専門家の鑑定も検討した。「少なくとも、100〜300ミリリットル程度に近い量のガソリンが給油口から漏れた可能性は、相当の根拠があると認められる」と判断。自然発火の可能性が具体的にあると言及した。
原決定の際に、
放火殺人:大阪地裁が母親らの再審決定…95年小6死亡
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20120307
ガソリンは引火力が非常に強く、それだけに、それを利用して放火するということになると、急激に引火することで放火者にも多大な危険が及びかねなくなることは自明ですが、確定判決の基となった証拠の中には、再現実験に関するものはなかったのでしょうか。あったとしても、不十分なものであった可能性はあり、そこを徹底的に突くことが再審開始決定につながったのかもしれません。再審を勝ち取る手法として、今後の参考になるところが多そうです。
などとコメントしたのですが、今回の決定についてマスコミからコメントを求められる関係でいろいろと資料を読んでいたところ、今回の決定では、上記の記事にあるように「自然発火の可能性」が大きく問題とされたのに対してその可能性が相当あるという判断を具体的な根拠を示して下していて、確定判決の証拠構造が完全に崩壊した状態になっていました。
証拠関係を見ていないので印象になりますが、今回の決定を内容に接して、そもそもこれは事件ではなく事故だったのではないかという強い疑問を感じましたし、そうではない、事件であり故意の放火殺人なのだという点について、反対の可能性を客観的、合理的な証拠でもって排除するという捜査は、おそらくされず、事件だ事件だという思い込みの下でそれに沿う証拠が、かなり偏頗な状態でつまみ食い的に収集されたのではないかという疑念を強く抱かせるものがありました。原決定でも今回の決定でもともに指摘されていますが、そもそも、殺害を企てるのであれば手段方法はいくらでもあるのに’(例えば寂しいところへ連れ出して事故に見せかけ殺害するとか)、わざわざガソリンを撒いて放火という自らにも多大な危険が及ぶ方法により、しかも、それで自らの住む場所を失う羽目に陥っているわけで、だから、即冤罪、とも言えないにしても、どうも、ぎくしゃくしたおかしな事件(事件、という見方をすれば、するからこそですが)という印象も受けるものがあります。
捜査段階で、自然発火による事故という可能性を、将来にわたって問題になっても説得的に排除できるだけの証拠収集が慎重に行われなかった、ぬかっていたという批判を受けることは避けられず、事件自体がフレームアップされて作り上げられてしまった、というのが今回の決定の内容からは自然と出てくる結論になると思います。
放火捜査というものは、証拠が燃えてなくなってしまうだけに難しいものですが、だからこそ、残っているものを慎重に見つつ、健全、合理的な発想、着眼で捜査を進めないとこうなってしまうという、悪い見本であり重要な教訓が導き出される事件ではないかと思います。