山口組分裂 30年前にあった惨劇「山一抗争」とは? 2年で25人死亡 警察当局、衝突を警戒

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150828-00000001-withnews-soci

「山一抗争」は、1985年1月、山口組の竹中正久・4代目組長が、対立する一和会系組員に射殺されたことで起きました。竹中組長は事件当日、京都市内の病院に昨年暮れから入院中の故田岡一雄・三代目組長のフミ子未亡人を見舞っての帰りで、犯人グループは、こうした竹中組長の動きを監視、犯行の機会を狙っていた、とされています。

1985年といえば、今から30年前、日航機が墜落した年ですが、山口組組長が一緒にいた若頭らとともに暗殺されるという事件が実に衝撃的で、その後に次々と起きた抗争事件で、社会が震撼していたことが今でも思い出されます。
記憶では、ロケットランチャーといった武器まで持ち出されていて、当時の一和会の会長宅は、手りゅう弾の投げ込みなどに備えるためか、家全体を防護ネットで覆って、その周りを警察官が警護するという、異様な様子がニュースで報じられていたことも脳裏に蘇ります。
警察当局も、既に30年前のことであり、古参の幹部くらいしか当時のことがわからなくなっているものと思われますが、そこからうまく教訓を引き出して、今後の対策に十分役立ててほしいという気がします。