キリノ元大統領関連の文献から、日本人戦犯恩赦の当時の様子を振り返る

http://www.manila-shimbun.com/category/society/news219178.html

キリノ元大統領は53年7月4日、同刑務所の死刑囚56人を終身刑減刑終身刑以下49人を釈放した。さらに同年12月28日には恩赦後、日本に送還されて巣鴨刑務所に収監されていた元死刑囚52人の釈放を決定した。

戦時中、キリノ元大統領自身も妻子4人を旧日本兵に殺害され、元大統領も憲兵隊に拘束され、拷問を受けた経験があった。にもかかわらず、元大統領が取った恩赦決定の措置は、当時としては異例の決断と言ってよいだろう。

BS1スペシャル「憎しみとゆるし〜マニラ市街戦 その後〜」
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20140914#1410684500

で見て、キリノ大統領が憎悪と許しの狭間で激しく葛藤する姿に強い印象を受けたことが思い出されます。
先日の戦後70年談話で、

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150817-00010000-nipponcom-pol

戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

という一節がありましたが、私にとっては、キリノ大統領の葛藤し逡巡する姿も、そこを読みながら改めて脳裏に浮かぶものがありました。妻や子が、今生きていたらどう言うだろうかとキリノ大統領が自問自答したことも間違いなく、亡くなった方々の生前の優しさ、寛容さも、決断を後押ししたのだろうということも、番組で紹介されていた家族写真を思い浮かべつつ、しみじみと感じるものがありました。
戦後70年の日本の歩みは、日本だけで為し得たのではなく、こうした海外の人々に支えられ助けられて為し得たものであるという、謙虚な気持ちを、日本人は忘れるべきではないと思います。それは、卑屈になる、いたずらに譲歩するといったこととは別物でしょう。