安保関連法案 野党から磯崎氏の国会での参考人招致求める声

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20150728-00000659-fnn-pol

民主党の福山幹事長代理は、「総理の補佐官です。政府の人間です。自分ら自身が、法的安定性は気にしない、気にしないで関係ないですよって言っているじゃないですか。どういうことですか、総理」とただした。
安倍首相は、「法的安定性を確保することはもとより、当然のことでありまして、そこに疑念を持たれるような発言は、慎まなければならないと考えております」と述べた。

言うことがころころ変わる、カメレオンのような人は不信感を持たれ信用されないものですが、法の世界でも、一旦、確立されたルールがころころと変わるようでは、のぼったハシゴをはずされるようなことが次々と起きかねず、人々がルールに依拠して動くことに不信感を持ちルールが守られなくなりますから、確立されたルールは、合理的な理由なく安易に変更されない、という「法的安定性」は、重要なことであるというのが、法の世界の常識でしょう。それを軽視する、ということは、そういう常識がない、見識に欠けている、ということになると言っても過言ではないと思います。
ただ、一旦、決まったルールは、未来永劫、変わってはならない、ということになれば、逆に、具体的妥当性が大きく損なわれてしまいますから、合理的な理由に基づき変更されることもあり得るわけで、例えば、裁判所が定めた「判例」というルールも、その後に見直されて判例変更、ということも時として起きることはあります。法的安定性を考える上では、そこも念頭に置いておく必要はあります。
その際に留意されなければならないのは、法(特に明文化された「成文法」)には「解釈の限界」というものがあり、従来の解釈を、その限界を逸脱して変更することはできない、ということです。それが許されてしまうようでは、都合が悪くなればいくらでも解釈を変えてしまえば良い、ということになりかねず、法が、権力を縛り人々にとって指針となるという機能が失われてしまいます。それは法治国家の死、と言っても過言ではないでしょう。集団的自衛権の問題を、そうした観点で見た場合に、どういう結論になるかは自ずから明らかであると私は考えています。
安保法制や、その前提となっている憲法解釈も、そういった意味での法的安定性を損なうものではないかどうか、慎重に検討されるべき重大な問題ですが、首相の側近から、そこを軽視する発言が出れば、与党や首相の姿勢に疑念が持たれても仕方がないでしょう。