妻子放火殺人 地検の実験、無罪裏付け どよめく傍聴席

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150324-00000058-san-l11

今月3日に続いて殺人などの罪を問う裁判で無罪判決が出たことに加え、検察側が立証の柱とした模擬家屋の燃焼実験が、逆に無罪を裏付けるという検察側にとって二重の衝撃となった。

元検事の落合洋司弁護士は、放火殺人事件について「火災で物的証拠がなくなってしまうため、自白がない場合は状況証拠に依存せざるを得ない」と立証の難しさを語る一方、検察側が「ひとつの条件下での燃焼実験結果のみに頼りすぎていた」と指摘。「弁護側の主張も含めたさまざまな前提で検証するべきだった。実験結果が否定された場合にも対応できるよう、灯油の入手経路など別の部分の事実関係を積み上げておくこともできたのではないか」と問題点を挙げた。

通常、燃焼実験は、自白があって自白通りの手段方法で放火が可能であることを確認するために行われるものですが、この事件では、自白もなく、犯行態様、手段方法について客観的に確定しにくい面があるのを捜査機関の「見立て」に基づいて燃焼実験を実施しそれで被告人の犯人性が裏付けられたと捜査機関が見ていたのが、逆に裁判所からは犯人性を否定する方向へ見られてしまう結果になったとのことで、これでは何のための燃焼実験だったかということになります。
被告人が犯人であるという先入観、見立てが強烈に先行してしまい、それに合わせて証拠関係を組み立てようとしてしまったことが、結局は随所で矛盾、ほころびを生じさせて、裁判所の駄目出しを強烈に食らってしまったという印象を、私は強く受けましたし、そういったところに、最近の捜査機関、その中の特に捜査をリードする幹部、検事の力量低下を見るような気もして、今後について危惧を感じさせられるものもありました。
従来の先入観、見立てに固執せず、判決の指摘も謙虚に検討して、控訴してどこまで立証が可能なのか、原判決を覆せる見通しが現実にあるのか、さいたま地検は十分検討して控訴の要否を決するべきでしょう。