無罪判決:福岡地裁「延々と取り調べ、調書は信用性低い」

http://mainichi.jp/select/news/20150313k0000m040123000c.html

検察側は「会合で男らに『生徒の出席日数水増しによる虚偽申請は可能』と説明した」とする役員の捜査段階の供述調書を根拠に男の共謀を主張した。しかし、野島裁判長は、福岡県警の捜査員が役員の取り調べで延々と男の関与をたずねたとして「真実に反する供述を誘発する危険性が高かった。調書は信用性が低い」と指摘。役員が公判で捜査段階の供述を否定したことなどから無罪とした。

私が司法修習生であったのは1987年(昭和62年)から1989年(平成元年)で、平成の初めに若手検事として教育を受け仕事に慣れていったものでしたが(そして迎えたのが20年前のオウム真理教捜査でした)、当時は、取調べには粘り強さが必要で、そのようにして引き出した供述を検察官調書に封じ込めておき公判立証に備えておく、裏付けも取っておく、公判で供述が翻ったらその調書で万全な立証を図る、ということを徹底して教えこまれたものでした。裁判所が、上記のような、延々と尋ねることをもって「真実に反する供述を誘発する危険性」を認定するようになれば、取調べはあっさりとしたものとして遂行し適当なところで切り上げるべき、ということになってきます。ただ、では真相解明をどのようにして行うのか、真実を語る供述をどのようにして得るのかという、重い課題が残ることになります。犯罪で、供述によってこそ真相が解明される部分が多くを占めざるを得ない中、捜査機関の悩み、かかる負担はますます大きくなりそうであるということを改めて強く感じました。