私の「成人の日」

最近は1月の第2月曜日、ということになっていますが、以前は、1月15日が成人の日として固定されていたものでした。私が20歳になった当時は、今のように、その学年の人が一同に集まって成人の日を、という状態になっていなくて、早生まれ(3月生まれ)の私は、次の学年の人々と一緒の成人式で、しかも、実家のエリア(広島近郊)での成人式に出ても、中学以降は広島市内の私立中、高に進学し、地元にも親しい友達はおらず(友達がいなかったのは昔からだと改めて思いますが)、大学の学年末試験の最中でもあり、わざわざ帰省するのも面倒で、成人式には出席しませんでした。
私が出席するはずだった成人式が行われたのは、1985年(昭和60年)1月15日だったはずですが、その年に、大学3年時に初めて司法試験を受験する予定にしていて、成人式どころではない、というのが正直な気持ちであったと思います。毎日、法律書が詰め込まれた重たい安物のスポーツバッグ(重たすぎて数か月たつと必ず持ち手の部分が根元から破断してしまいまた安物のスポーツバッグを買い直していたものでした)を持って、薄汚い早稲田大学のキャンパス内を徘徊していた、暗く陰うつな日々が、成人の日を巡る明るく晴れやかなニュースに接すると、暗い淵の奥からポップアップするように脳裏に浮かんできます。大学4年生で司法試験に合格して、確かに得たものには大きなものがありましたが、人並みに大学生活を楽しんだり、大学時代でしかできない経験をする、人々と交流を図るといったことはなかなかできず、失った機会にも多大なものがあったように思います。国土が焼け野原になったが辛うじて戦争に勝利した国、のようなものであったのかもしれません。
新成人の皆さんには、遊ぶことはこれから、年を取ってもいくらでもできるので、当面は、読んだり聞いたり見たりといった、様々な情報収集を行って、分析し考えてみる、その上でさらに情報収集する、という作業を地道に繰り返してみてほしいという気がします。若いときにそういうことをしっかりやっておくことで、その後の長い人生を生き抜く基盤のようなものが形成される、そこが人により大きく差がつくのが20代あたりではないかと思います。
私は、もう下り坂を徐々に下って行くだけになりつつありますが、新成人、若い人々には、この日本を、日本に住まう人々の幸福、繁栄をさらに発展させられるような、有為な人になってほしいと願うばかりです。