新幹線の思い出

10月1日は、新幹線開業50年で、記念式典が行われ、報道も大きくされていました。新聞で、JR東海による全面広告が出ていて、富士山をバックにして走る新幹線の大きな写真には、感慨深いものがありました。
私も、生まれたのは新幹線開業と同じ1964年(昭和39年)で、小さい頃、当時流行っていた新幹線の歌(青い光の超特急、時速は250キロ、といった歌詞だったと記憶しています)を、幼稚園か小学校の遠足のバスの中で歌ったりしていたものでした。歌詞では250キロ、となっていたものの、当時の時速はそこまで出ていなくて、おかしいなと子供心に思ってもいましたが(当時からそういうところに気が向く面があったのかもしれません)、その後の技術の進歩で新幹線は時速300キロ近くで営業運転するようになっています。
初めて新幹線に乗ったのは、まだ新幹線が岡山までしか開業していなかった小学生当時で、母や弟と一緒に東京へ観光に行った際に、広島から岡山まで在来線の特急で行き、岡山から東京まで新幹線に乗りました。その速さに興奮していたもので、その時は、上野動物園でパンダのカンカン、ランランを、長い行列に加わって見たりしたことも思い出されます(何時間も並んで、見たのは少しの間だけで、遠くにパンダが寝転がっていた光景が蘇ります)。
その後、大学へ入った際に父親と一緒に上京したり、帰省で乗ったりと、いろいろな機会で利用し、静岡地検在職当時の3年間は、東京から静岡に新幹線通勤して、連日、新幹線に乗り、朝、静岡駅に到着する際、秒単位で正確に到着するので、これは凄い乗り物だと感心していたものでした。ただ、私が静岡地検在職当時に、私自身は担当していませんが、三島駅で、降車していた乗客が車内に戻ろうとしていて閉じられたドアにはさまれ引きずられて死亡する事故が起き、乗客の死亡事故ゼロの記録が途絶えたのは、亡くなった乗客の方とともに残念なことでした。現在の新幹線の死亡事故ゼロの記録は、「乗車中の」乗客の死亡事故ゼロ、ということになります。
最近は飛行機に乗る機会が多くなり、以前と比べると新幹線に乗る機会は減りましたが、天候に左右されにくい、安心して乗ることができる乗り物というイメージは強く、来春に開業の北陸新幹線にも乗ってみたい、などと考えているところです。
東京駅に、新幹線について、「日本国民の叡智と努力によって完成された」という記念のパネルがありますが、昭和20年の敗戦で国土が焦土と化した中から立ち上がり、その後19年余りで新幹線を開業にまでこぎつけた、当時の日本人の叡智と努力には頭が下がる思いがします。今後も、日本人は新幹線とともに走りながら、新たな価値を社会の中で生み出し、発展させることを目指すべきだろうと、最近の、後ろ向きなバッシング合戦を見るにつけしみじみと感じます。奇しくも新幹線誕生の年に生まれ、50年を過ごしてきた私も、今後も地道に歩んで行きます。