「後手の捜査」「不可解」=発見現場の捜索漏れ−神戸女児遺体で識者

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014092700202

県警は当初、事件よりも事故の可能性が高いとみて、川の捜索や、阪神大震災後に増えた廃屋などの子供が入り込みそうな場所の確認を進めた。

元検事の落合洋司弁護士は「女の子が失踪した場合、『くまなく捜す』が基本。なぜ雑木林を捜索していなかったのか、非常に不可解」と疑問を呈し、「早く見つけていれば、それだけ早く住民の不安を払拭(ふっしょく)できた」と批判。

ただ、落合弁護士は「(16日は)裁判所の令状のない限界の中での捜索だった」とし、大谷氏は「令状なしに風呂場まで調べており、むしろ『やり過ぎ』と感じるくらい。市民の生活や権利の制約につながりかねない」と危惧した。

事件性がある、という具体的な根拠がすぐには見当たらない場合に、最悪の可能性を想定して動くかどうかには、悩ましいものがありますが、幼児が失踪した場合、事故であっても、例えば車にはねられそのまま車内に連れ込まれ連れ去られる、どこかに捨てられる、といった形態のものも考えられますから、上記のような想定で活動の在り方や範囲を狭めていたのであれば、それはいかがなものかという素朴な疑問を感じますね。
こういったケースでは、いろいろな可能性を想定する必要があり、また、怪しいからといって無茶なことをするわけにもいかず、捜索には難しさがつきまといますが、ここはこうすべきだったのでは、といった、事後の検証や教訓の引き出しを怠らずに、次へとつなげてほしいという気がします。旧軍でも、戦争が激化するにつれ、次第に、戦闘を振り返り「戦訓」を引き出すことがされなくなった、ということを、何かで読んだ記憶がありますが、そうであってはならないでしょう。教訓の地道な積み重ねが、いつか役立つ時が来るものです。