Facebookで疲れる理由は、使い方が間違っているから:研究結果

http://www.lifehacker.jp/2014/08/140831facebook.html

すぐに明らかになったことは、被験者が写真の共有、ステータスの更新、友人へのメッセージなど、Facebookを積極的に使った場合は、1日を通して感情の変化は見られませんでした。一方、自分は積極的に参加せず、投稿された写真や、ほかの人の会話をただ眺めていただけの人は、ネガティブな気分に陥りました。
ここからわかることは非常にシンプルです。「見ているだけ」の人になってはいけないということです。Facebookから最良のものを引き出すには、友人や家族との会話に積極的に参加し、自分の生活の一部をシェアすることです。

Facebookねたみ」を感じた人は、お返しするかのように、Facebookでことさら自慢をする傾向にあります。男性なら、何か成し遂げたことを、女性なら自分の容姿の良さや、社交の華やかさを喧伝します。他人にねたみを感じ、わざと自慢したり、生活を飾り立てる行為をみんながとれば、凄惨な「ねたみスパイラル」が引き起こされます。それぞれが、自分を誰よりもよく見せようとやっきになるのです。

ソーシャルメディアを、他人と比べるためではなく、社会生活を広げる手段として使いましょう。

私自身は、他人は他人、自分は自分と思っていて、SNS上で他人の楽しげな写真を見ても、こういうところに行きたいな、といった気持ちになってもねたむような気持ちにはなりませんし、SNSはロム状態で眺めたり読んでいるだけでも十分楽しいと思っているのですが、そういう人はむしろ少数派で、多くの人は、上記の記事にあるような陥穽に陥りやすいことも理解でき、「正しい使い方を」という記事の指摘は理解できますね。
こういうものは、自然体で、適度に距離や節度を持って臨まないと、長続きはしないもので、自分なりの距離感やペースをうまくつかむことが、継続して楽しむ上では必要、重要ではないかと思います。
私のような、あまり良いこともない、しがない弁護士が、面倒なことばかりで、ろくなことがないな、などと思っていても、例えば、歩いている道端にきれいな花が咲いていることがあり、そういう花を何枚か撮影してSNSにアップロードすると、心がなごみますし、それに対していいねをしてくれたりコメントくれる人もいて、それでさらに心がなごむこともあります。大きな、目を見張るようなことはなくても、さりげないところで小さくても楽しみや喜びを見つける、それを皆にシェアして自分もなごみ他人もなごむ、そういったSNSの使い方ができるように、今後も心がけたいものだと、記事を読み感じました。