市川隆太氏死去(中日新聞北陸本社報道部長)

http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2014071500893

14日午後10時9分、脳出血のため金沢市内の病院で死去、54歳。神奈川県出身。

私が、市川さんに初めて会ったのは、記憶では、2005年か2006年の共謀罪に関する取材の際で、当時、市川さんは東京新聞特報部で、共謀罪などのテーマを精力的に取材していました。明るく元気な、それでいて無駄のない鋭い人だな、という印象が最初からありました。その後、2008年まで、電話でコメントを求められることが結構あって、私のコメントが東京新聞の記事に出たこともありました。今でも、「東京新聞の市川です」という電話がかかってくるような気がします。
2009年になって、川崎支局長に転勤になった旨のメールをもらい、その年の暮れに、記事で私の名前を見たとメールをくれたのが、やり取りの最後になってしまいました。川崎支局長から東京に戻って来られたのかな、などと思っていたのですが。取材で接する記者はかなりの数にのぼりますが、その中でも、特に印象に残っていた人でしたし、私と同様の印象を持っている人はおそらく多いと思います。
ネットで検索していたところ、この記事が、市川さんらしさがよくわかる記事ではないかと思いました。

次々と言い訳を思い付きだらだら過ごす日々 東京新聞川崎支局 支局長 市川隆太氏(50)
http://www.tokyo-np.co.jp/today/new_hatachi.html

東京新聞にいる知人に聞いたところ、先週、倒れて意識が戻らないまま逝去された、とのことで、奇しくも、先週、私は急な出張で金沢へ行っていて、勝手な思いで申し訳ないですが、市川さんに呼ばれたような気が、今はしています。その時に、既に入院されていたかどうかはわかりませんが、かなり近くにまで行ったことにはなると思います。
市川さんは新聞記者、私は弁護士、お互い忙しい身で、なかなか会う機会がありませんでしたが、便りのないのが良い便り、といった気分が、私にも、おそらく市川さんにもあったと思いますし、市川さんも、秘密保護法や集団的自衛権には強い関心を持っていたとのことですから、私がそういったテーマで情報発信したり、昨年は国会に参考人で呼ばれたり、といったことも、ある程度は見てくれて、落合弁護士は相変わらず頑張っているな、と思ってくれていたものと思います。そう信じて、私は、もうしばらく、この社会の中で頑張ってみたいと、残念な気持ちの中で感じています。
早世が惜しまれますが、多くの人に接し、親しまれ、記者として生き抜いた、そういう人生であったと私は思っています。
在りし日の元気な姿を思い起こしながら、ご冥福をお祈りします。