訃報に接して思うこと

最近、著名人、芸能人等で、私が物心ついてからまだ若かった当時に活躍していたような人が、70歳、80歳といった年齢になって亡くなる(もっと若くして亡くなる人もいますが)という訃報に接する機会が増えています。また、私自身の知人でも、まだ私と同年代やちょっと上くらいの年齢で、早くに亡くなる人が、徐々に出てきています。
20代、30代の当時は、生命に終わりがくること、死というものは、はるか彼方にあって、抽象的にしか意識していないようなところがありましたが、私も、今年3月で50歳になり、人生の折り返し点はとうの昔に過ぎた状態にもなっていて、訃報に接した際の感じ方も、より切実な(と言っても切迫感まではないですが)、自分自身の身に置き換えて感じる、といったものに変わってきつつあります。
人生が、150年、200年くらいあると、お金がなくてもいろいろな経験がもっとできて楽しい、と思うのですが、80年程度、というのは、当面は動かし難く、皆に平等に、長い、短いの差はあれ、いずれは終わりの時が来る、そこへの達観のような気持ちも、最近は徐々に固まりつつあるような気がします。
私自身、まだまだ当面、現役で頑張るつもりでいますが、そういった、終わりへと徐々に近づきつつあることも意識しつつ、身を引くべき時、終わりへ向けた準備に入るべき時についても、思いを巡らすことが、今後、増えそうな予感がしています。