集団的自衛権―砂川判決のご都合解釈

http://www.asahi.com/articles/ASG45349ZG45USPT003.html?ref=reca

東京地裁は米軍駐留は憲法9条に反するとして無罪にしたが、最高裁はこれを破棄。外国軍は9条が禁じる戦力には当たらないとする一方、安保条約の違憲性については「統治行為論」によって判断を避けた。
判決は、9条が固有の自衛権を否定したものではないとしたうえで、こう述べる。
「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」

砂川事件で問題になったのは、米軍駐留が憲法第9条に反するかどうかで、最高裁は、米軍の駐留を同条の問題ではない、とし、しかも、上記のような統治行為論により日米安保条約の合憲・違憲について憲法判断を回避したわけですから、自衛権に関する部分は、いわゆる「傍論」(判断を導く上で必要なものではない、一種の付け足し)でしかないでしょう。傍論についての先例拘束性はいろいろと議論がありますが、砂川事件では、自衛隊の存在、活動について正面から問題になっていたわけではありませんから、そういう前提で判決を評価する必要があります。
そもそも、集団的自衛権は、「他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利」ですが、砂川事件最高裁判決は、「わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」と言っているわけですから、個別的自衛権を想定しているというのが素直な読み方です。
そして、仮に、砂川事件最高裁判決が集団的自衛権も含め肯定していたと読むとしても(かなり無理がありますが)、あくまで「措置をとりうる」と抽象的に述べているだけで、政府の従来の見解も、憲法が個別的自衛権集団的自衛権の双方の「保有」は否定していない、ということは明確に述べてきたわけで、ただ、個別的自衛権については行使できる一方、集団的自衛権については、

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20130821#1377093458

でコメントしたように、

内閣法制局長官が指摘するように、自国が攻撃されていない、その意味での自衛権を発動する状況にないという集団的自衛権は、日本国が保有してはいても、日本国憲法がおよそその行使を是認していない

と一貫して考えてきたわけです。
それを、砂川事件最高裁判決が、集団的自衛権の「行使」まで容認していると読み込んでしまうのは、事件の内容や判決から飛躍し、しかも、従来の政府見解と何ら整合しない(ずれ切った)暴論でしかないと思います。解釈というより、こじつけの部類に属するものでしょう。
こういった、無茶なことを言わないと理由らしい理由も付けられないところに、現憲法を改正しないままでの集団的自衛権肯定論が、解釈ではなく憲法の破壊でしかないことが端的に現れていると言えると思います。