http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140114-00001001-yom-int
13日付のロシア紙イズベスチヤ(電子版)によると、旧ソ連のカラシニコフ自動小銃AK―47の設計者で、昨年12月に94歳で死去したミハイル・カラシニコフ氏が生前、「心の痛みは耐え難い」などと、自分が開発した銃で多数の人々が命を落としたことに心を痛め、ざんげする手紙を書いていたことが分かった。
同氏が昨年4月、ロシア正教会の最高権威キリル総主教に向けて書いた。同銃は世界の紛争地で最も多く使われたといい、手紙では「私の自動小銃が人々の生命を奪ったことは、たとえ敵の死であったとしても、私に罪があるのではないか」と心情を吐露した。
平成7年に、私が東京地検公安部に在籍していた当時、オウム真理教が、このAK-47の後継銃であるAK-74(47の口径を小さくして小型化された弾丸をより多数携行できるようにしたもの)を模した自動小銃を密造しようとした、武器等製造法違反の捜査に関わっていたことがあった関係で、AK-47関係の書籍を買ってみっちり読んでいたことがありました(取調べていた被疑者が、部品を作っていたので、自分もそれなりに事情を知っていなくてはならなかったため)。その時に受けた印象は、AK-47の構造がシンプルで部品数も少なくあらゆる状況で確実に弾丸が発射できる、信頼性がとても高い、ということで、世界中で好まれよく使われてきたことが納得できました。オリジナルのAK-47以外に(AK-74も含め)派生したモデルがかなりあるのも特徴で、それだけ使われてきた中で、極めて多数の人々を殺傷してきた、それを開発者のカラシニコフ氏が苦痛に感じていたことは容易に想像できます。
あまりにも優秀すぎた、傑作すぎた自動小銃であり、人類にとっては不幸なこと、開発者にとっては、生涯、重い十字架を背負ったようなことになってしまったと言えるでしょう。悲劇的なものを強く感じます。
地球上に紛争がある限り、今後も、AK-47やAK-74、その派生銃が長く使われることは確実で、カラシニコフ氏の冥福もなかなか困難な状況です。