「火牛の計」は津波? 小田原城奪取に新説/神奈川

http://www.47news.jp/news/2013/07/post_20130726140202.html

北条早雲が1495(明応4)年、小田原城奪取を成し遂げた奇襲戦「火牛の計」は津波被害に乗じた侵攻だった−。静岡県伊東市が3月に刊行した市史・災害編で、こんな見解が示された。小田原城奪取については諸説あるが、地震津波の痕跡とみられる堆積物の分析から導き出された“新説”は、小田原市民の関心を呼びそうだ。

今回のような天災と政変を結び付ける研究例は少ないとされる。地層の成分や含有物から地震の発生時期や規模を探る津波堆積物の分析は、東日本大震災でクローズアップされた。ただ、考古学分野での活用はまだ少なく、小田原市内の調査が待たれる。

気象が、歴史的事件に大きな影響を与えた実例は多くありますが、津波による大きな被害が、攻城を容易にして奪取へと結びついた、という可能性はあり得ることであり、今後の研究にも待つ必要がありますが、なかなか意欲的な見解、ということを感じますね。
決定的な論証は難しいと思いますが、当時のその地域の実情を記録した古文書、古記録を積み重ねることで、こうした見方が裏付けられる可能性はあるのではないかと感じます。
津波による混乱に興じた攻城、奪取であったとすれば、北条早雲は、さすがに日本史上に残る戦略家、戦術家ということになるでしょう。