昔日本にあった和文タイプライターが非現実的過ぎると話題に

http://www.yukawanet.com/archives/4446612.html

使い方はというと、動画を見ていただければ判る通り、上下左右にスライドするバケット部、それを打ちつけるピックアップ、さらに固定されたピックアップの下の活字を示すファインダーからなっており、要はファインダーで文字を探し打ち付けると言う非常に気の遠くなる今思うと不毛な作業を行っていたようだ。
文字数は2400文字ありその中から目的の文字を探すのには、経験と知識を要する。

私の母が、タイピストの仕事をしていて、一時、自宅でその仕事をしていたこともあったので、和文タイプライターを間近で見たことがありますが、記事に添付されている画像は、おそらく簡易型のもので、本格的な和文タイプライターは、もっと大きくてごついものでしたね。文字数も、2400程度ではなく、もっと多くの文字が打てたはずです(その分、活字が多くて大型化していたということになると思います)。
私が広島で司法修習をしていた昭和62年、63年当時は、まだ判決書を和文タイプで打っていて(それをワープロによるものに変えようと言う議論がされていた時期でした)、広島地裁の1階に、タイプ室があり、そこに、ずらっとタイピストが並んで黙々とタイプを打っているのが、外から窓越しに見えたことが思い出されます。裁判所でも同様だったと思いますが、検察庁でも、そういったタイピストが、平成に入りタイプの仕事がなくなってきて、徐々に一般の事務職になって、平成7年か8年当時、私が東京地検で休日の日直(休日に送致されてきた身柄事件に対応する)勤務に入ろうとしていたところ、その日の責任者の検察事務官の女性がやってきて、私はタイピストから事務官に変わって、勤務年数が長かったので今日はこの立場ですが元々タイピストなので事務がよくわからなくて困っています、と言うので、別の事務官を呼んで、こういう事情だからよく補佐してあげてください、と依頼したことがありました。このように、ワープロの普及で、せっかく熟練したタイピストから別の仕事に変わる必要に迫られて苦労した人も多いと思います。
今ではパソコンのワープロソフトで文書を作成しプリンターで印刷して簡単ですが、昭和の終わり頃は、徐々にワープロが普及していましたが、まだ和文タイプが併存していたのが懐かしいですね。
こうした機器を使って、日本全国で、多くのタイピストが日本語文書を一生懸命作成していたということは、1つの歴史として刻まれておくべきことだと思います。レバーを握り活字を拾っては打つ、という、結構、身体に負担になる作業で、当時のタイピストの皆さんにはお疲れ様でしたと声をかけてあげたいです。