検察崩壊 失われた正義

検察崩壊 失われた正義

検察崩壊 失われた正義

郷原先生にから贈っていただきました。ありがとうございました。今日、羽田から新千歳への機内と札幌までの車中で、一通り読みました。
書いてある内容中、対談で語られていることは、既に、繰り返し指摘されてきたことがほとんどで、特に目新しさは感じませんでしたが、対談を通じ問題点がわかりやすく総括的に整理されていると感じました。
一連の告発についての最高検の報告書が末尾に添付されていて、これはまだ読んでいなかったので、一通り読んでみました。かなり評判が悪いことは知っていましたが、確かに、まず不起訴ありき、という方針が見え見えの、それだけに無理に無理を重ねた、最低な内容になっていて(「最高」検作成なのに)、こういうものを世に出しているようでは、国民の不信を増加させるだけで捜査、公判や刑罰権行使を司る機関としての信頼を取り戻すのは難しかろうと感じました。
こういった惨状を呈するまでに至っているのは、特に知能犯捜査について、従来の手法では供述が取れなくなり、証拠に基づかない、裏付けられない「見立て」が暴走し証拠を見立てに合わせてでっちあげてしまうような捜査が常態化し、それが表面上、結果において成功したかのような外観を呈してきただけに(検察盲信の裁判所や提灯持ちのマスコミのアシストも得て)、一種の薬物中毒者のような状態になり、気がついたら体中がボロボロになっていた、というのが現在の姿でしょう。捜査の在り方、進め方といったことを、根本的、抜本的に見直さないと、無理に無理を重ねてまた同じような失態を犯してしまうか、過度に消極的になり事件ができなくなるか、いずれかの道を歩むことになってしまうことになると思います。どちらかというと、今後は後者の可能性が高そうですが、検察庁が積極的に乗り出してやるべき事件、というものは今後もあるはずで、それでは国民のための検察庁ではなくなってしまいます。
本書を読みながら、旧弊にとらわれない、新たな捜査、公判や組織の在り方、というものを、今こそ徹底的に考え実行に移すべきである、ということを感じました。しがない弁護士には何の力にもなれませんから、政治主導で、そういった方向で進んでほしい、ということを、市井の片隅からひっそりと祈り、願っています。