家康が人質生活を送った戦国の世 岡崎城を訪ねる

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/hobby/535972/

信秀の降伏要求に父広忠は「其方え出シタル事ナラネバ、何ト成供、存分次第可有トテ(信秀に差し出した人質ではない。何なりと好きにしたらよい)」と毅然と突っぱねた。松平の跡継ぎであった6歳の家康は、父から見捨てられた。家康がこの時、何を考えたかは不明だが、権謀術策渦巻く戦国の非情な規範が、その性格の狡猾さや忍耐を生み出す下地になっただろうと推測できる。

記事にもあるように、今年のNHK大河ドラマ「江」での、北大路欣也が演じる徳川家康は、狡猾さ、したたかさと誠実が同居し、場面や状況に応じて使い分けもする家康像をうまく演じていて、見応えがありましたね。ドラマ自体の印象が薄かった分、今後、あの家康像は長く記憶に残りそうな気がしています。
青年期に至るまでの家康は、織田家、その後は今川家で長く人質生活を送り、今川家没落後は織田方についたものの、信長の命で妻子の粛清に追い込まれたり、三方ヶ原の戦では、信玄軍に完膚なきまでに叩かれ自決を決意し家臣に止められるなど、苦難の連続であったと言っても過言ではありません。そのような苦難、苦労が家康という人物を形成していった、その過程に、我々は多くを学ぶことができるように思います。多くの人が厳しい状況下、重大な岐路に立たされている今こそ、改めて見直されるべき歴史上の人物ということを感じながら、記事を読みました。