3姉妹の電話待つ母

http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200508osutaka/02.html

墜落現場からは、娘たちの生の証しも見つかった。一本のフィルムだった。警察が現像して手渡してくれたのは、三人が仲良く並んでほほ笑む写真。日付は、大阪を出発した一九八五年八月九日。輝子さんの記憶にある、家を出たときの服装だった。
その写真が、今も自宅の至るところに置かれている。夫婦二人の家には、娘が描いた絵や、結婚記念日に贈られたプレゼントも当時のまま残る。

三人の発見現場に建てた石碑には、輝子さんがおもちゃの携帯電話を置いている。今の電話は三台目で、新型の折り畳み式だ。
「声が聞きたいのに、一度もかかってこない。電話番号が分からないのかなあ」

あの未曽有の大事故から、今日で26年が経ちましたが、インターネットでいろいろな記事を読んでいると、事故の悲惨さとともに、遺族や関係者の悲しみに終わりはないということが、しみじみと感じられます。犠牲になった姉妹からの電話が、ないことはわかっていても、それでも、声を聞きたいと待ちわびる母の気持ちには、胸に迫るものがありますね。
その後、こういった大規模な航空機事故は日本では起きていませんが、ニアミスや地上への異常接近など、重大事故一歩手前という事態は繰り返し発生しています。安全に携わるあらゆる関係者は、謙虚に担当する業務を見直す必要があり、個々の地道な努力が、上記のような不幸を生み出さないことにつながることに、深く思いを致す必要があるでしょう。
この事故で犠牲となった方々のご冥福を、心よりお祈りします。