http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/europe/447229/
老女は誰にも自分の過去を語らなかったが、自宅にはフランス戦功十字章が残されていた。
フランス育ちで仏語に堪能だったアイリーンさんは志願してパリに潜伏。英BBC放送を通じて暗号指令を受け、無線機で情報を返信した。44年6月に控えたノルマンディー上陸作戦に備えてドイツ軍の鉄道輸送を妨害するため、仏レジスタンス組織と連絡をとって、鉄道を破壊する爆薬や武器の投下場所とその時間をSOE本部に知らせるのが任務だった。
上陸作戦が成功した後の7月、隠れ家がナチスの秘密警察に突き止められた。アイリーンさんは情報メモを燃やしたが、無線機や暗号表を押収された。秘密警察はレジスタンス組織を割り出すため、彼女を裸にして氷風呂で拷問を繰り返した。しかし彼女はうその名前と住所を繰り返すばかりで決して口を割らなかった。その後、ドイツの収容所に送られたが45年4月、移動中に逃走し米軍に保護された。
地元在郷軍人会のジョン・ペントリース氏は「トーキーの町で彼女を知る人は1人か2人だった。多くの人が死後、彼女の勇気と功績を知り、追悼の意をささげた」と話した。
映画「史上最大の作戦」でも、ノルマンディー上陸作戦の際に、レジスタンスが献身的に活動した姿が紹介されていますが、上記の記事にあるような無名の人々の支援、活躍がなければ、ヨーロッパ解放はさらに遅れ、より多くの犠牲者が出たことは間違いないでしょう。ナチスのSSの取調べは、悪名高き地検特捜部の比ではなく、それを耐え抜いた精神力には人間離れしたものを感じます。戦後、その死まで何も語らず、フランス戦功十字章を持ちつつ戦後の世界を見ながら、何を考え生きていたのでしょうか。
自由で民主的な社会が、何となく生み出されてきたものではなく、多くの人々の努力や犠牲の下、勝ち取られてきたものであり、いつ失われるかわからない危険性を持つものであるということを、この記事に接し、改めて強く感じました。