失敗から生まれた「フェイスブック」の“実名性”

http://www.sinkan.jp/news/index_1678.html?link=all

ザッカーバーグの「フェイスマッシュ事件の失敗で評判を悪くしたので、それを取り返そうと思った」という言葉の通り、プライバシーに関して非常に気が遣われている。ハーバード大学のメールアドレスを持っていないと登録できず、必ず実名で登録を行わせ、さらにプライバシー機能を用いて自分の情報を誰に対して公開できるか設定できるようになっていたのだ。
それまで、アメリカでも現在の日本と同様「匿名で何でもあり」というソーシャル・ネットワークが先行していたが、「ザ・フェイスブック」のこの性格は明らかにそれとは違った。

映画も本も、私は、まだ、これからなのですが、フェイスブックがいかにして生まれ、ここまで巨大な存在になったかについては、並々ならぬ興味を持っています。
インターネット上における匿名、実名、それぞれに長所と短所がありますが、人は、生存している限り、リアルな存在ですから、実名で活動することで、その成果がリアルな自分に還元される(され得る)実名のほうが、手応えがあり収穫も大きい(収穫があれば、ですが)ということは言えると思います。ただ、そこにはリスクもあるのですが。
その意味で、フェイスブックの隆盛が、日本のインターネット文化にどこまで影響を及ぼしてくるか、大いに注目されると言えるように思います。