小沢氏を強制起訴へ 検審「起訴すべき」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101004-00000555-san-soci

小沢氏をめぐる同事件は検察の2回の不起訴処分が、国民の判断によって覆されるという異例の事態となった。

この議決の正当性について、私は、証拠を見ておらず、肯定も否定もできません。今後は、裁判所による審理、判決の中で、この議決の当否も明らかになって行くでしょう。
ただ、従来の検察実務では、起訴するかどうかの判断にあたり、有罪が立証できるかどうかについて相当慎重な評価が加えられ、有罪判決が得られる確実な見込みを要するという基準が確立されてきた面があります(最近は、大阪あたりでそういった伝統を根底から破壊する動きが明らかになりつつありますが)。それだけでなく、有罪判決が獲得できる確実な見込みがあっても、「起訴価値」というものも考慮され、形式的には犯罪に該当するが実害がない、起訴するとかえって不公平な取り扱いになる、起訴するだけの意味、価値がない、乏しいといった実質的な判断も、慎重に加えられてきた面があります。
検察庁の、慎重すぎる判断が、起訴すべき事案を不起訴にしてしまっているという側面ももちろんあって、そうであるからこそ検察審査会の存在意義があるわけですが、最近の起訴強制の事例を見ていると、従来の基準に代わる、起訴される被告人や関係者のことも十分に考えつつ、敢えて起訴して裁判所の審判を求めるだけの新たな基準を確立する方向で物事が進んでいるのか、疑問を感じずにはいられません。日本では、起訴されることによる被告人や関係者に対する負担にも多大なものがあり、国民から選ばれた人が判断したことだから、裁判所に決めてもらうべきだから、といった程度で、簡単に起訴されてしまう制度というものが、果たして刑事司法にとって有益なものなのかどうかということは、今後も十分な検討が必要でしょう。