松下幸之助に関する記事

少し前になりますが、3月29日の日経朝刊「交遊抄」で、阪神高速道路会社会長の田中宰氏が、松下電器産業勤務当時の松下幸之助氏の思い出を紹介されていました。1966年に鳥取県米子市で開かれた大会出席の際、皆生温泉の旅館の仲居頭が、「松下さんのような工場が地元にあったら息子と離れずに暮らせましたのに。工場を造っていただければ地元の者はどれほど喜ぶでしょう。」と話したのを聞き、数日後に、工場用地を探すよう指示し、6年後に米子市で工場ができ、松下氏の葬儀の際、その仲居頭が土砂降りの雨の中、ずぶぬれの状態で献花していたことなどのエピソードが紹介されていて、生前の松下氏が改めて偲ばれました。
田中氏は、松下氏と言葉を交わした際の印象として、「経営の根幹は人」を訴え続けてこられた幸之助さんの「真髄」に触れた思いがした、と述懐されていましたが、人が大切にされなくなりがちになっている今こそ、松下氏の精神には見直し活かすべきものがあるのではないかという気がしました。