http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010022102000083.html
当時、JTBは米国のユダヤ人協会の依頼を受け、シベリア鉄道で逃れてきたユダヤ難民に、敦賀への連絡船をあっせん。四〇年九月〜四一年六月に約一万五千人を輸送したといい、多くが杉原氏の「命のビザ」を手にしていたとみられる。
手記などによると、大迫さんは、天草丸で片道二泊三日の航路を二十数回、往復。出航前・下船後の手続きや乗客の世話などを担った。ユダヤ難民の様子を「何となく元気なく、中にはうつろな目をした人もおり」と書いている。
七枚の写真には、いずれもポーランド語やブルガリア語などの裏書きがある。同大使館によると、「すてきな日本人へ」「私を覚えていて」など、大迫さんあてのメッセージだという。
「杉原ビザ」はあまりにも有名になっていますが、その影には、記事にある輸送船の乗組員や、
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060413#1144916745
でコメントしたように、かつて日本の外交官がユダヤ人協会代表のラビから、リトアニアで杉原ビザを取得して脱出に成功し、来日後、福井県の敦賀で地元住民から炊き出しの温かいもてなしを受けた経験を話され、「我々はこの恩を忘れない。五千年後の子孫も必ず覚えている。」と語られたように、献身的な地元住民の存在などがあったことは忘れるべきではないでしょう。
一国の国民に対する信頼感といったものが、政治家、軍人等の英雄的な行為によるだけでなく、こういった草の根のような部分の地道な活動によって生み出されて行くということを強く感じさせるものがあります。