「矛盾証言していたら…」再審開始に後悔の念

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091021-OYT1T00664.htm

菅家さんは1審の途中で犯行を否認後、「本当は昼間に買い物をした」と供述を変えた。菅家さんの行動を裏付けるような昼のレシートについて1994年11月に証言した女性は確信が持てず、「分かりません」と答えた。
「当初の『自白』にあった『夜の時間帯』に菅家さんはめったに来ない。その一言を言ってあげられれば、裏付け捜査の甘さを指摘できたかも」と悔やむ。再審では「冤罪(えんざい)の解明を率先して進めてほしい」と願う。

この記事を読むと、それぞれの足利事件、ということをしみじみと感じさせられますね。刑事司法というものは、こういった善良な一般国民に大きく支えられているものであり、そういった人に、上記のような「その一言を言ってあげられれば、裏付け捜査の甘さを指摘できたかも」といった気持ちを長く持たせ苦しめるといったことは、冤罪を生むことと同様、あってはならないことであり、捜査というものが持つ重大な責任ということを強く感じます。
なぜ捜査が誤ったかということを解明することは、再審の本来の目的ではありませんが、他にそういった解明ができる場がない日本の現状の下、宇都宮地裁が持てる裁量権を適切に行使し、この再審公判において、捜査が誤った原因や再発防止のため何ができ何をすべきかといったことを考える上での有益、有効な材料を収集し国民に提示することこそ、今後、大きく期待されていると言えるでしょう。