昨日の午前に、長野市で開催された関東弁護士会連合会のシンポジウムに参加し、帰京する前に、長野市近郊にある川中島古戦場に立ち寄ってきました。
本ブログでも以前に触れたように、
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20071215#1197700579
今なお、様々な議論が活発に展開されている合戦ですが、実際に現地に臨んでみるといろいろな収穫がありました。最も印象的であったのは、上杉謙信が布陣していた妻女山山頂に登ってみたところ(そういう物好きはいないようで、行ってみると、車の中で寝ているおじさんがいる程度で他には誰もいませんでした)、武田軍がいた海津城(カーナビで測定したところ妻女山から7・5キロの距離)が、予想以上に手に取るように間近に見えたことで、この状態であれば、出撃前の武田軍の慌ただしい動きが上杉軍にはよくわかり、迅速に妻女山を降りるという選択につながったものと推察されました。
妻女山山頂で、上杉謙信の立場に身を置いて考えてみたところ、武田軍が動くということを察知し、攻められる前に機先を制して攻めるべく、無我夢中で妻女山を駆け降りたというのが真相ではなかったかと思われ、啄木鳥の戦法で仕掛けた武田軍が逆に窮地に陥ったのは、武田軍が策を弄しすぎたが故のことではなかったか(策士、策に溺れる)ということが実感されました。上杉軍としては、策を弄しすぎた武田軍の失敗により、武田信玄すら討ち取れる最大の好機を得たが生かしきれなかった、ということになるような気がしました。
私にとって、川中島合戦を考える上で、参考になり、また、興味深い経験になりました。