『裏付け取材を放棄』 バンキシャ!誤報問題 日テレが検証特集

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009082402000064.html

誤報の原因となった裏付け取材の甘さや組織構造上の問題について、番組担当者らの証言を交えて説明。「うそを見抜けず裏付け取材を放棄したのは致命的なミス」とし、「現場の不安が幹部社員に伝わらず、認識がずれたまま誤った判断をした」と自ら指摘した。

昨夜(日付は変わっていましたが)、帰宅したところ、この検証特集を放送していて、途中から見ました。
私の場合、事実を調べる、認定する、という仕事を、検事、弁護士としてやってきていて、それを組織的にやっていたのは検察庁在籍当時でしたから、どうしても、検察庁在籍当時に身についた感覚でこの種の問題は見てしまいがちですが、検証特集を見て感じたのは、事実の確認や放送の可否等について、責任をもって物事を進める立場の者が不在であったのでは、という印象を強く受けました。
検察庁の場合、捜査する事件の主任検事が、証拠全般に目を通し、構想を練り、足りない証拠は補充し、構想についても適宜修正して、起訴するかどうか、どういった求刑をするか、といったことを主体的に検討します。上司へ報告し指示を受けたりすることはあっても、証拠全般を網羅的に検討しているのは主任検事のみですから、その責任は重く、それと同時にその判断というものも重視されます。その辺がうまくかみ合っていないと、問題事件化しがちと言っても過言ではないでしょう。
上記の検証特集を見ていると、検察庁では主任検事、マスコミでよくいる「デスク」のような立場の者がどうも見当たらず、ガセネタに動かされて物事が動き始めた後に、これはヤバイからやめよう、見合わせよう、といった判断がきちんとできないまま大誤報に至ったという印象を強く受けるものがあり、改善しようという動きはあるようですが、かなり抜本的に体制を見直さないと、今後もこういった誤報は次々と起きそうな、悪い予感がします。
テレビで、視聴率が重視されることによる圧力を日々受けていることは理解できないではありませんが、「報道」を名乗る以上、事実を伝えるということの意味、価値を視聴率よりも上に置くということでないと、やはりまずいのではないかと思いました。