路線の安全気遣い現場へ 飯塚 死亡の西鉄バス筑豊社長

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西鉄バス筑豊飯塚市)によると、24日夜の豪雨で市内各地は道路が冠水し、幹部社員も路線バスの安全確認のためパトロールに出動した。柴田さんも午後7時40分ごろ、1人でマイカーを運転して赴いた。冠水現場に差しかかったところ、車が流されたとみられている。
運転手として入社し、2004年7月から社長。雨や雪の日には乗客や運転手を心配して自らパトロールに出ていた。柴田さんが流された現場付近にはバスが止まっており、その車内には、冠水で立ち往生した車のドライバーや通行人が避難していた。「いつも従業員を大切にし、(熱意を)行動で示す人だった」。同社運行部長の浦野俊秀さん(53)はこう言って、最期まで現場主義を貫いた柴田さんを悼んだ。

昭和が終わるころまでの日本には、記事で紹介されている方のように、人の上に立っても責任感が強く自らの危険を顧みないタイプの人が多かったような気がします。旧海軍では「指揮官先頭」ということがよく言われていたと聞いたことがありますが、戦後の日本の驚異的な復興、成長には、戦前から受け継がれた良い面が良く作用していたのかもしれません。
平成に入り、バブル化がますます進み、それが弾けて人心が荒廃する中で、自分自身は安全圏に身を置き汗もかかず自分だけ甘い汁を吸い儲けて逃げる、ということがあたりまえのようになってきているところに、現在の出口の見えない行き詰まった状況の原因があるような気がしてなりません。
亡くなった方のご冥福をお祈りしたいと思いますが、その死は長く人々の心に残り、無駄になることなく、今後、様々な形で花開いて行くでしょう。