中学からではもう遅い――小学校における「ネットの危険」教育の実際

http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20090626/1016370/

赤羽小学校では携帯電話事業者など各種団体と協力して、基本的な使い方以外の情報モラル教育を4年生から実施している。同校の山越正秀校長は「いじめの温床となる学校裏サイト掲示板などネットの危険性を中学校になってから学ぶのでは遅い。パソコンや携帯電話に触れ始める小学校のうちに使い方のルールをきちんと教える必要がある」と早期教育の重要性を力説する。

こういった早期教育が重要であることは間違いありませんが、危険性などネガティブな側面を強調しすぎると、ネットの有用性、便利さに目が向けられなくなる恐れもあり、バランスの取れた教育が必要ではないかと思います。
インターネットを使わない、メールもやらない、といった人が時々いますが、話を聞いてみると、ネットの有用性、便利さに目を向けようとせず、報道等で流れる、危険性が顕在化した事例を針小棒大に捉えて、自分がそういった分野に関わらないことを正当化しようとする、という傾向があり、この人は大きく損をしているなと感じることがああります。人の生き方というのは人それぞれで、科学技術が発達した現代において、例えば石器時代と同様の生活をしたいという人がいてもそれが間違っているわけではありませんが、人生を様々な意味で豊かに生きる上でインターネットが貢献できる分野は多々あり、有用性と危険性の双方に目を向けうまく活用できる、そういう教育を望みたいという気がします。

追記:

小中学生の携帯電話を一律規制--石川県の条例案に陳情書
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/cnet/20090624-OYT8T00767.htm

今回、送付された陳情書では、石川県県議会で現在審議中の「いしかわ子ども総合条例改正案」(子どもの携帯電話の購入と所持を禁止する旨の改正)に対する反対意見を表明している。

小中学生に携帯電話を持たせないよう保護者に努力義務を課そうとしているようですが、自動車、飛行機がなければ自動車事故、航空事故がなくなる、という発想と同様、馬鹿げた発想で、努力義務を課すのであれば、小中学生が正しく携帯電話を利用するように教育する努力義務こそ課すべきでしょう。
東京に住んでいる小学生は、パソコンや携帯電話に触れ始める小学校のうちに使い方のルールをきちんと教える必要がある、とされ早期に教育を受けようとしているのに、石川県に住んでいる小学生は、子供は携帯など持つな、と持つこと自体を禁止されようとしているというのもおかしな話です。