中野正剛事件

判例時報に、以前から、渋川満弁護士による「先輩から聞いた話」という連載が掲載され、昔の裁判官や裁判所の話が紹介されていますが、2031号で、戦時下に起きた中野正剛事件が紹介されていました。
中野正剛早稲田大学出身の政治家でしたが、戦時下、東条英機首相を公然と批判し、昭和18年に至り、東条内閣により、帝国議会が開催される寸前に、中野正剛を含む百数十名が戦時刑事特別法違反(その後、不敬罪等も付加)の容疑により検挙され、東条首相から検事総長に対し、中野正剛帝国議会に出席させないため、勾留請求するよう指示があり、指示のまま勾留請求されたものの、担当裁判官であった小林健治判事が、強烈な圧力に屈せず、衆議院議員であった中野正剛不逮捕特権等を理由に勾留請求を却下し、釈放に至ったという経緯について、生々しく紹介されていて、興味深いものがありました。なお、中野正剛は、釈放直後に謎の自決を遂げています。
最近の事件になぞらえてみると、戦況が悪化する中で追い込まれていた東条内閣が支持率低迷の麻生内閣、当時の検事局は現在の検察庁(特捜部)、戦時刑事特別法、不敬罪等が政治資金規正法中野正剛やその同志が小沢一郎氏やその秘書、民主党という、やや気味の悪い構図が浮上してきますが、物事はそう単純ではないとはいえ、妙に当てはまりそうなのが気になります。
中野正剛に対する捜査は、正に政治的弾圧を目的とした国策捜査そのもので、こういったことに安易に利用されてしまう検察権力の本質的な危険性というものを感じるとともに、そういった政治的弾圧、国策捜査から国民を、民主主義を、正義を守るのは、やはり三権分立下における司法権を担う裁判所しかなく、不明朗な背景による不可解な捜査、起訴といったことが現に存在する今こそ、裁判所に期待される役割は大きいのではないかと強く感じました。