捜査において「陰謀」はあるか?

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060122#1137897955

ライブドア事件の時に書いたものですが、今回の小沢代表絡みの事件を機に、改めて読み直してみました。基本的には、今でもこういう認識ですが、今回の事件、捜査は「政治」そのものに切り込んでいるものであるだけに、そこに陰謀の臭いや国策捜査の影を感じる人が少なくないのはやむを得ないでしょうね。

追記:

上記のエントリーで、

結局、動機や経緯に不純なものが含まれていたとしても、立件し起訴する、という段階にまで至れば、公判を維持し有罪判決を獲得できるか、という観点から厳密な証拠評価を行わざるを得ないので、その段階で、「はめる」「陥れる」といった要素を含めるということは、まず不可能というのが、日本の捜査(特に経済事件の捜査)の実態ではないかと思います。

と書きましたが、元々の事件の「見立て」に強引さがあり、かつ、強制捜査までの内偵段階で、そういった強引な見立てに沿った供述証拠が強引にもぎ取られてしまえば、その結果、描かれた構図は、証拠には基づいていても、やはり、「作り上げられた」ものという側面を強く持つことになるでしょう。その意味で、上記のように、陰謀論的な意味において、

「はめる」「陥れる」といった要素を含めるということは、まず不可能

ではあっても、バイアスのかかった捜査そのもの(主観的には真相を解明するという熱意に基づいてはいても)が、被疑者、被告人を「はめ」「陥れる」ことになる、という場合があることは否定できません。
強引さ、もぎ取り方、作り上げられ方がどこまで行けば、実体的真実に反する虚構、ということになるかはケースバイケースですが、経済事件、特に地検特捜部が大々的に乗り出すような事件は、常にフィクションとノンフィクションの境目の中にある、ということは言えるのではないかと思います。

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080127#1201401752

でもコメントしたように、供述調書というものには有用性と危険性というものが両方あって、我が国において取調べというものが可視化されていない(その動きは徐々に出てきつつありますが極めて不十分)現状では、捜査機関が描き、マスコミを通じて垂れ流されている情報、構図に対する健全な懐疑心というものは、常に持っておく必要があるように思います。